喜怒哀楽を縛る罪悪感プレイから、自由な世界へ行くと決めた。

そうか。

私は、
喜んで良いし、
怒って良いし、
哀しんで良いし、
楽しんで良い。

堅苦しくいうと、私には、
喜ぶ権利があり、
怒る権利があり、
哀しむ権利があり、
楽しむ権利がある。

権利というと義務とセットな気がするが、
「〇〇しても良い」と言い換えると、
決してセットではないと気づく。

喜ぶこと、怒ること、哀しむこと、楽しむこと。

誰の許可もいらなくて、自分のジャッジもいらない。

ただ感じるだけ。

その人が好きでも、
その人が嫌いでも、
その人を尊敬してても、
その人を尊敬してなくても、
そんなことは全く関係ない。

喜んで良いし、怒って良いし、哀しんで良いし、楽しんで良い。

 

今まで尊敬している人に怒りを感じた時、
「怒りを感じる自分なは未熟である。

だってあの人は、すごい人なんだから、
怒りなんて感じる自分が間違ってる」とか決めつけてきた。

 

なんで相手の味方をして、自分を責め立てたんだろう。

なんで自分を、庇ってあげなかったんだろう。

なんで自分を、敵視したんだろう。

 

どれだけ理性を働かせたって、腹がたつものは腹がたつし、嫌なものは嫌。

好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌い。

 

腹がたつとか嫌とか嫌いと、
その人を尊敬するとか好きな感情は、
別に拮抗しないし関係ない。

 

忘れないように、もう一度。

 

その人を好きでも嫌いでも、
尊敬しててもしてなくても、
私の喜びや怒りや哀しみなさや楽しみに全く関係ないのだ。

 

私の感情は、自由だ。

感情にあれこれ理由をつけて許さなかったのは、私自身だ。

罪悪感という足かせを勝手につけて、
勝手に被害者になるプレイをしてただけ。

好きだから、楽しかったからやってたんだな、そのプレイ。

 

もう飽きたから、次は自由な世界へ行くと決めた。

 

先日の、HANANINGEN KYOTOのオフショット。

身体がずれているから、右肩が上がっております。

 

 


2016-12-30 | Posted in Beトレ, pour moi 活動, 日々の出来事No Comments » 

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